安倍晋三氏は「神輿」に乗った右派のプリンス ジャーナリスト・青木理が迫る実像〈AERA〉(AERA dot.)

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安倍晋三氏は「神輿」に乗った右派のプリンス ジャーナリスト・青木理が迫る実像〈AERA〉(AERA dot.)
安倍晋三元首相の銃撃事件は多くの人に衝撃を与えた。
[紹介元] AERA dot. – Yahoo!ニュース 安倍晋三氏は「神輿」に乗った右派のプリンス ジャーナリスト・青木理が迫る実像〈AERA〉(AERA dot.)

安倍晋三氏は 神輿 に乗った右派のプリンス

安倍首相がいう〈栄光の時代〉は、日本が侵略戦争に突き進んだ時代であり、その戦争推進の中心人物の一人が岸だったのです。

一方、日米関係は、すでに小泉前首相とブッシュ大統領が鉄壁とも言うべき個人的信頼関係を構築していたこともあり、米国は安倍首相の誕生を歓迎しました。訪米は翌年四月に実現しますが、この時、ブッシュ大統領との間で、「かけがえのない日米同盟」を確認し、さらにアジア、そして国際社会における諸問題に協力して取り組んでいくことで合意しました。

安倍晋三首相は2013年12月、東京・九段の靖国神社に参拝しました。その後も「内閣総理大臣」として供え物の真榊や玉串料の奉納を続けています。内外の批判にたいし、首相は「(参拝は)心の問題、信仰の問題、生き方の問題だ」(14年12月、日本記者クラブの党首討論)と無反省な発言をくりかえしています。

安倍内閣は「日本会議内閣」といっても過言ではありません。

「安倍氏が議員になってたった13年で首相になれたのは、まさにこうした議連や仲間にリーダーとして支えられたから。最右翼の議員グループと、民間の改憲勢力が支持基盤なのです」と俵氏は指摘します。

安倍晋三氏にとって、侵略戦争を肯定・美化する歴史認識に立って、教科書攻撃をした「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(「教科書議連」)の活動は〝過去〟のものではありません。

安倍晋三首相は、「祖父の場合は、先の大戦に至る前の、ある意味では日本が大変飛躍的な前進を遂げた〈栄光の時代〉が青春」だったといい、祖父から「少なからず影響を受けた」(『「保守革命」宣言』)と認めます。

最初に青少年の道徳心や規範意識、学ぶ意欲、家庭や地域の教育力の低下が懸念される中、安倍首相は教育改革に取り組みます。その第一弾が十二月の改正教育基本法の成立でした。「教育の憲法」と言われる教育基本法の改正は、昭和二十二年三月に制定されて以来、初めてのことです。

安倍首相が参拝にこだわるのは、その戦争観とかかわっています。「日本のために、国のために殉じた御英霊に対して尊崇の念を捧げることは当然のこと…国が危機に瀕したときに命を捧げるという人がいなければ、この国は成り立っていかない」(04年11月、靖国神社崇敬奉賛会主催第6回公開シンポジウム)とも発言します。

安倍氏を撃った男はおそらくだからこそ、元首相に近寄ることができた。そして、寄せ集めの部品で作った武器を発射できたのだろう。

五十二歳、初の戦後生まれ、加えて田中角栄元首相の五十四歳を抜いて戦後最年少の宰相誕生です。安倍首相は、小泉前内閣の官房副長官当時、北朝鮮による日本人拉致事件に毅然とした態度を示したことで国民的人気が高まり、その後、当選三回で自民党幹事長に起用されると、国政選挙における候補者選考に公募制度を本格導入するといった大胆な党改革を推し進め、常にポスト小泉の一人として注目されてきました。

「安倍氏は、中国リスクを早くから認識して、『自由で開かれたインド太平洋』の戦略を掲げ、ドナルド・トランプ前米大統領をはじめ、世界各国の首脳に本気で訴えた。いまや自由主義諸国の政策となっている。対中包囲網が完成しつつあるタイミングで、自由主義諸国を牽引(けんいん)してきた安倍氏が暗殺された。岸氏は米国などの信頼が厚いが、林氏は『親中派』とみなされている」

在任中、安倍首相は総裁選の公約でも掲げた日本版NSC(国家安全保障会議)設置に向け民間有識者を集め「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」を発足させました。ここでの検討を受けて関連法案を国会に提出し、さらに集団的自衛権に関する個別事例を研究するための私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置し、集団的自衛権の行使容認への道筋を示しました。

しかし、この頃から安倍首相の体調が悪化していきました。九月十日に召集された臨時国会での所信表明演説の二日後、安倍首相は退陣表明を行い、翌日、検査入院しました。

平成十八年九月二十日に行われた総裁選は、官房長官の安倍晋三氏が四百六十四票(議員票二百六十七票、党員算定票百九十七票)を集め、麻生太郎氏の百三十六票(議員票六十九票、党員算定票六十七票)、谷垣禎一氏の百二票(議員票六十六票、党員算定票三十六票)を大きく引き離して、第二十一代総裁に選出され、二十六日、「美しい国づくり内閣」と銘打った第一次安倍内閣が発足しました。

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